皆さんこんにちは!4年の久世です。
実に9ヶ月ぶりのブログ執筆です。今回がたぶん最後になることでしょう。感慨もひとしおです。
さて、3/16日の後半(15:45~18:45)の練習は4年練でした!
3/21のフェアウェルで歌う曲を、4年生が執行となって進める練習です。2年以上には懐かしさを、1年生には新鮮な驚きを与える練習でしょう。
今回練習する曲は、すでに新家さんによる3/2の記事にもあるとおり、
「鳥が」(川崎洋の詩による五つの混声合唱曲『やさしい魚』より)
「くちびるに歌を」(混声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』より)
の2曲です。これらはいずれも我々60期が執行代であった第57回定演の曲目ですね。その中から両サブコンが恣意的に好きな曲を選んだものです。
では、練習の様子を見てみましょう!
最初はパー練です。
私のいたテノールでは、パトリのやすだくんが練習を仕切っていました。「鳥が」の練習では「遅れないように注意しよう!」、という練習をしていましたがはたして結果は…?
なんでやすだくんはいつも踊っているようになってしまうんでしょう??
以下はパー練の様子です。写真はすべて2T竹内くんに撮ってもらいました。ありがとうございました!!
ソプラノ
こうやって囲まれているのを見ると真ん中の二人が裁かれているように見えますね。
アルト
華やかですね。
バス
華やか…ではないですね。老いを感じます。
さて、17:00からはアンサンブルの時間です。
最初は「鳥が」の練習です。この練習を進めるのが…
サブコンのゆきみさん(左)と、61期サブコンで今日はピアニストのしんばしくん(右、就活中)です。仲が良さそうですね。
この曲はゆきみさんが一番好きな曲の一つということもあり、一つ一つ丁寧に、かつ頭おかしく楽しく練習を進めました。
特に指摘が集中したのが、テンポの感じ方。女声が少し走っていきがちで、どうも男声、特にテノールはとろいようです。(パー練でたくさんやったのにね!やすだ残念!)
この曲は、とどまることなく流れていく、進んでいく音楽だと思うのですが、どうも我々男声はその感じ方が鈍いようですね。そういえば、練習の最初に、新家さんの、この曲は女性的な印象でしたとの感想が紹介されていました。もっとそういう豊かな、繊細な感性を持ってこの曲に臨みたいですね。
今一つ指摘があったのは、「鳥」と「花」について。全曲を通して鳥と花は並置されて出てきますね。特に最後のLentoにおいては、アクセントとテヌートという形で明確に区別されています。それ以外の部分でも、それぞれの違いを意識したいですね。
後半は「くちびるに歌を」の練習です。
こちらは、
サブコンの私久世(右)と、麗しのピアニストなとりーぬ(左)が進めていきます。
前回の練習では指揮者の加減が悪かったために半分までしか進まなかったので、今回は2回目のアカペラ部以降を中心に練習しました。
指摘した点は、前回のサブコンだより(Nr.2、アップローダにあります!)に書いた通り、発音と表現を特に焦点化しました。
例えば・・・
子音を出す(Hab, fröhlichem, Klang, macht, auch, Gedränge, komme, was, verwinden...)
語のアクセントに気を付ける(独語:Lippen, Gedränge、日本語:くちびる、うた...)
一回目と二回目のアカペラの違いの意識(何が違うのでしょう??)
一回目と二回目の「くちびるに歌を持て~」の違い(ピアノに耳を傾けて!)
最終盤の音程等、冷静になって正確さを失わずに
といったことを中心にやりました。
私は、楽譜に書いてあることをまずはできるようになることを重んじます。なぜなら、楽譜とは作曲者直々のメッセージですから、まずはそれを読み解いていくことが肝要と考えています。なので、↑で指摘したような、ある意味「当たり前」のことが中心になっていきます。しかしその「当たり前」も、それを本当に正確にやり遂げるのは、非常に難しいことなのです。
是非、この曲を今回初めて歌った人も、久しぶりに歌った人も、今一度楽譜を眺めてもらいたいです。そこにはきっと、作曲者が私たちに伝えたかったメッセージがあるはずです(riten.みたいな音楽記号もその一部ですよね)。
今回、貴重な練習時間を割いて、二回に渡って4年練をやらせていただきました。2回とも、実に多くの人が出席してくださり、本当にうれしかったです!皆さん、ありがとうございました。
21日のフェアウェルも、何卒よろしくお願いします。
以下、サブコンだよりについての補足です。長くなるので追記に書きます。
今回の「元サブコンだより」Nr. 3では、詩の作者であるC.フライシュレン(Cäser Flaischlen)について書きました。
彼の詩、「心に太陽を持て」(Hab Sonne im Herzen)は第一次大戦を通じて全世界で有名になりましたが、それは彼自身を有名にすることはありませんでした。その証拠に、フライシュレンのウィキペディアのページはなかなか寂しい内容になっています。これは何もウィキペには限らず、ネットや物の本を読んでも似たようなものです。
しかし、彼がこの詩を書くに至るまでには、それだけの苦悩と、そこからの救済が背景にあったのです。そうしたことを知ってもらえると、この詩がもう少し、皆さんにとって心に迫るものになるのでは、と思い、今回はそのような内容で書きました。
ところで、「たより」の最後の方に、当時の本の一部を持ってきて、「この詩はDer Mai ist gekommen.という歌にのせて歌うように書かれている」ということを書きました(これは日本人の多くは知らないことかもしれません)。
このDer Mai ist gekommen.は、「五月がやってきた」という意味のタイトルで、ドイツで19世紀から歌われてきた曲です。
これに、Hab' ein Lied auf den Lippen mit fröhlichem Klang...とのせてみると、確かによくはまります。確かにフライシュレンがこの曲を念頭に置いていたことがわかりますね。
そして、この「くちびるに歌を」を歌うに当たって、フライシュレンと並んでもう一人忘れてはならない人物がいます。
日本の小説家、山本有三です。
今回歌っている曲「くちびるに歌を」の詩は、作曲者の信長さん自身が訳し再構成されたものです。しかし、この詩を日本にひろめたのが山本有三であり、彼の訳は信長訳にも影響を与えています。
例えば山本訳の第1連を見てみましょう。
心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふぶきが こようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。
こうなっています。信長訳と比べてみていかがでしょう?
少し、山本有三について話を続けます。
彼は明治時代、栃木市の生まれです。帝国大学(今の東大)独文科を卒業し、昭和49年に86歳で亡くなるまで精力的に文筆活動を進めました。『女の一生』『路傍の石』などの作品で知られています。
彼は独文科の出身ということで、おそらくその時にドイツ語で書かれたフライシュレンの詩と出会ったのでしょう。
彼は、「心に太陽を持て」というその一節を、生涯の座右の銘としました。
三鷹に、山本有三記念館というものがあります。彼の私邸を記念館として公開したものです。
私も先日そこを訪れましたが、そこには彼の手による「心に太陽を持て」の書や、1935年に彼が出版した『心に太陽を持て』が展示されています。
記念館では、彼の絶筆となった『濁流』についての展示が行われていました。そこでは、彼が「いかに生きるべきか」というテーマと取り組み続けていたことが示されていたのです。苦難や困難にあっても、ただひたむきに生きていくことの難しさ、これが彼の文学の底流となっていた、ということでした。
そういう人間が、フライシュレンのあの詩を好み、日本語に訳して日本に広めたのです。なにか、両者に通じるものを感じます。
この「くちびるに歌を」という歌にも、山本有三の思いが、きっと伝わっているのではないか、そんな気持ちに私はなりました。
作詩者、最初の訳者、作曲者兼訳者。この「くちびるに歌を」には、それぞれの人の思い、願いが詰まっています。
アンサンブルでは作曲者・訳者の信長貴富の言葉を、元サブコンだよりでは作詩者のフライシュレンの願いを皆さんにお伝えしました。最後の一人、山本有三の思いを、今回こういう形で非常に手短ながら紹介しました。
皆さんの中でそれを消化し、自分の思いを歌に紡ぐ糧としてもらえれば、サブコンとしてそれ以上の幸せはありません。
大変長い文章を、最後までお読みくださり、ありがとうございました。
あと僅かのお付き合いですが、最後までどうぞ、よろしくお願いします。